モンゴルで広がった仏教哲学の基本的な考え方:四諦(したい)
約2500〜2600年前に成立した仏教は、心を研究する教えである。心は物質的なものではないが、非常に速く動く。例えば「アメリカ」と思った瞬間に、心はすでにアメリカを思い描き、あたかもアメリカに到達したかのようになる。心は広い範囲を行き来し、しかも不安定である。身体は物質的なものであるため、身体的な苦しみには一定の限界がある。(例えば、ライオンは15キロメートル先の音を聞くことができると言われているが、人間にはそれができない。つまり、能力には限界があるということである。)しかし、心は物質的・肉体的なものではないため、その働きには限界がない。そのため、もし心を苦しませてしまうと、限りなく大きな苦しみを生むことになると理解することができる。
四諦とは何ですか?
仏教の根本教義のひとつで、四諦とは苦・集・滅・道の四つの真理(サティヤ)。 人生の本質は生老病死などの苦であり、苦の原因は人間の煩悩による執着(集)であって、その執着を滅して、涅槃(ねはん ニルバーナ)に導く道には八つの正しい実践の方法(八正道)があるとする。
心が苦しんでいるときでも、人は身体の不調には注意を向けるのに、内面の心にはあまり気づこうとしない。何が起きているのか、何がうまくいっていないのかを、自分自身で気づいている必要がある。心の持つ前向きな性質は、海のように深く、空のように広く、どこまでも広がっていく可能性を持っている。しかし現在の私たちは、自分に関係のある人たちに対してだけ親切に接し、狭い小さな輪の中で生きていることが多い。
インドでは、生まれたばかりの子どもを占星術師に見せて運命を占ってもらう習慣があったと言われている。仏陀(ブッダ)が誕生したときも、同様に占星術師によってその運命が占われた。占星術師は占ったうえで、「まことに素晴らしい子が生まれた。この子がもし王宮を出なければ、世界を征服する偉大な王になるだろう。しかし王宮を出るならば、世界中に名を知られる偉大な人物になるだろう」と告げた。王子はやがて密かに王宮を出て、人が生まれる苦しみ、病に苦しむ姿、老いて死んでいく様子を目にする。それによって、その原因を解き明かそうと深く思索し、瞑想を続けた末、夏の初めの月の十五日に悟りを開いた。悟りを開いてから49日後、最初の教えとして「四諦(したい)」、すなわち四つの聖なる真理を説いた。人類の究極の目的は、幸福に生きること、苦しみから解放されること、苦しみのない状態で安らかに生きることである。そのためには、まず苦しみを正しく認識し、理解しなければならない。そうしてこそ、真の幸福とは何かを理解することができるのである。
仏陀(ブッダ)は、八万四千の法門(教えの体系)を説いたとされている。この数は、人間に八万四千の煩悩があることを象徴している。すなわち、怒りが二万一千、欲望が二万一千、無知が二万一千、そしてこの三つを合わせたその他すべての煩悩が二万一千である。それぞれの煩悩を取り除くために、一つ一つの法門が説かれたのである。これらの教えはすべて、「四諦(したい)」、すなわち四つの聖なる真理を基盤として成り立っている。
煩悩(ぼんのう)とは仏教用語で「心身を悩ませ、苛立たせる感情の動き」を意味し、混乱と苦しさを引き起こす心の乱れのことです。 また 「貪・瞋・痴の三毒」と呼ばれます。 一般的には、特に「物質的な欲望」や「性的な欲望」を指して使われることが多いです。
仏教は、その思想の広がりによって「大乗仏教」と「小乗仏教」の二つに分類される。
小乗仏教は、苦しみから解放され、安らぎに至ることを目指すが、その目的は主に自分自身のための悟りであり、思想の範囲は比較的限定的である。これに対して大乗仏教は、他者のために悟りを目指し、そのためにまず自分自身が悟りに至ろうとする教えである。すべての人が悟りを開いてこそ、真の幸福に到達できるという考え方である。
大乗仏教を信仰・実践している国々には、インド、チベット、モンゴル、日本、韓国などがあり、一方、小乗仏教は、ネパール、スリランカなどをはじめとする東南アジアの国々で主に受け継がれている。
怒りや欲望によって誤った行いや悪い行いをし、その結果として苦しみを受けることになる。人は否定的な感情にとらわれて、悪い行為をしてしまうのである。では、なぜ怒りや欲望が生じるのだろうか。それは、怒っている対象や執着している対象の本質を、ありのままに正しく理解できていないために、否定的な感情が生まれるからである。無知(無明)を取り除き、正しい知恵を身につけてこそ、悟りに至り、真の幸福に到達することができる。仏教では、怒りや欲望からどのように離れるか、その方法が説かれている。怒りや欲望は、心の平安を乱し、心を不安定にしてしまうのである。
修行・実践の立場から見ると、仏教は「経典の教え(顕教)」と「密教(密呪・密教の教え)」の二つに分けられる。経典の教えは、広く一般に向けて公開的に説かれた教えである。一方、密教は個々人に向けて伝えられる教えであるため、公開の場で広く説かれることはない。この二つを併せ持つ形が、モンゴルに広く伝わっている仏教の最も代表的で完成された形である。密教の教えには、儀礼や修法などの実践が含まれている。