モンゴルの習慣について
モンゴル国はアジアの心臓に位置し偉大な歴史を持っています。その長い歴史の間に豊かな習慣を育くみそれを伝承して来た国です。モンゴル民族の客好きな習慣が一番有名です。地元の方はどんな厳しい時期にも誰かと会った時「サイン・バイナ・オー?」(お元気ですかという意味)、「サイハン・ゾシチュ・バイナ・オー?」(夏を幸福に暮らしていますか?という意味です。季節によって変わります)と穏やかな言葉で挨拶します。また相手からの答えも「サイン・サインバイナ・オー」(おかげさまで元気です。貴方はお元気ですか)、「サイハン・ゾシチュ・バイナ・タ・サイハン・ゾシチュ・バイナ・オー」(おかげさまで幸福に暮らしております、貴方も幸福に暮らしていますか?という意味)といい気持ちで返事をします。モンゴル人はいつでも初めて会った人に悪い、弱いものを全然話しません。これはモンゴル民族の長い歴史と習慣から醸し出されたものです。 昔から遊牧民が誰かと会ったとき嗅ぎタバコを交換して、相手の体の具合又はその人の家族の健康、家畜と牧草地の状態を聞いて挨拶します。これは遊牧生活している民族にとって大切な情報になります。 モンゴル人の挨拶に使うもう一つのものは「ハダグ」です。ハダグというのは1メートル程の長さの柔らかな絹です。五色のハダグがあります(白、赤、青、黄、緑)。ハダグの絹に模様がありますのでその模様でハダグの種類を分け、それぞれの使い方があります。ハダグを最もよく使うのはモンゴルのお正月の時です。モンゴル人は皆正月には家族の人や自分の親戚の家を訪問して挨拶します。ハダグを年上の人、又はお祝いの折に挨拶するときに使います。お正月の特徴はまず厳しい冬が終わって暖かい季節を迎え、親戚の皆なと会って健康を祝し合うことであります。 遊牧民の最もすばらしい習慣の一つは移動している誰でも構わずもてなすことです。田舎の何もない草原で移動の厳しさに疲れた人がどこかの誰かのゲルにお邪魔して移動の疲れを癒して行きます。こんなことで遊牧民のゲルの扉に鍵がなかった。誰かのゲルの周辺を移動者たちが通っていればそのゲルの主婦がミルクティーもって迎えもてなします。 モンゴル人誰かのお宅を訪問するときにドアをノックせず、「ノホイ・ホリオ」(犬を捕まえてください)と言います。この言葉は大草原の国ではドアをノックすると同じ意味を表します。現代の市内にはこの習慣はあまりないです。ホストはゲルを出て犬を捕まえてお客さんが馬を降りるのを手伝って、ゲルの連れて行きます。ゲルに入ってからお客さんと挨拶して嗅ぎタバコを交換します。またはお客さんの目的、旅の間の状態などを聞きながら話が始まります。その間、主婦がお客さんをミルクティーと「イデー」(モンゴルケーキ、パン、乳製品、お菓子など)でもてなします。
民族衣装
民族衣装は長い期間に民族、部族の象徴となり、文化の特徴を今まで伝えて来ました。民族、部族の中で、年齢、性、社会で示す立場など等を民族衣装が表現して来ました。モンゴルの民族衣装は遊牧民の共通の活動の特性、気候、習慣の特徴を表現しています。 遊牧民は家畜を飼い、またハンティングをして、移動生活していました。彼らは広大な土地を支配していても人口が少ない、又は土地は農業にはあまり適さなかったので必要な生地、絹、米、小麦などを隣の国、州、民族、部族から色んな方法で入れてきていました。時に攻撃して軍力で取る方法もありました。モンゴル民族衣装は人間の動きに柔らかい、戦争にも、平和の時にも変わらないデザインがあり、風から襟元を護るためとじられた襟、寒さに手が寒くないように長い袖、乗馬の時体にフィットする、帯、長いズボン、膝までの長いブーツなどで構成されます。 古代モンゴル帝国の時代に世界中、そのなかで中央アジア、東の国々(イスラム教の国)にモンゴル衣装のデザインが結構流行っていましたがモンゴル帝国の崩壊後からその人気は下がってしまいました。 17世紀から満州支配の時代にモンゴルの大君主、ノヨンなどの高い地位の人たちの礼装に満州衣装の影響が強くなり、またモンゴルにチベット仏教が入って来てチベット衣装からデザインしたモンゴル衣装に合わせたモンゴルの仏教のお坊さん達の服が誕生して来ました。 モンゴルの伝統的な靴は一番丈夫な靴で今までモンゴル相撲の力士たちが利用しています。遊牧民たちは帽子と帯を服の中で一番大事にします。モンゴルブーツには色んな意味を表す模様をつけます。どれぐらいの模様をつけるほど値段が高くなります。モンゴル男性の幸運が帽子と帯にあるということわざもあります。ヨーロッパでは尊敬を表すために帽子を取りますが、モンゴルでは自身の帽子をかぶったまま挨拶します。 現代のモンゴル衣装は部族によって少し違います。男性の服は殆ど同じですが、女性の服には違いが結構あります。 モンゴル衣装のもう一つのポイントは飾り物です。男性は帯にナイフ、嗅ぎタバコの袋、コップの袋、火打ち金と火打ち石(当時のライター)を着用しています。
民衆芸術
モンゴル遊牧民族の民衆芸術の起源は昔の口承文芸であります。モンゴル民族が長い豊かな歴史がある民族でその歴史の期間に民衆芸術も変化しながら発展して来ました。民衆芸術の根本、口承文芸には昔話、叙事詩、民謡、祝福、賞賛、など等があります。モンゴル民族の世界中に誇る芸術はホーミー、曲芸的、長唄などで、一番有名な楽器は馬頭琴です。 馬頭琴は馬の尻尾で作った二本の弦からなる弦楽器です。馬の尻尾で作った弦が作り出す低音は、遊牧民の住宅であるゲルで弾くとと素晴らしく聞こえます。最近演奏の場所も増え、ステージに出て広いスペースで弾くために馬の尻尾の弦をナイロンに変えました。馬頭琴はモンゴルと内モンゴル自治区、ブリヤート共和国など等のモンゴル民族が生活するところで普及しています。 ホーミーは遊牧民の大事な芸術的な遺産であり、人間が喉で同時に低音と高音を出して歌う特性の芸術的な唄です。現在遊牧民の馬頭琴とホーミー、曲芸、長唄を世界の人々が興味を持ち、海外の方々が学ぶ機会が多くなりました。
民族住居・モンゴルゲル
モンゴルゲルは長い期間の発展段階を経て、伝えられて来ました。13世紀モンゴル帝国の頃遊牧民がゲルを立てたままで牛車に乗せて移動していました。 モンゴルゲルは長い歴史のある遊牧民の生活スタイルに適った住宅です。簡易に移動でき、建てやすい、軽く、熱を外に逃がさないといった特徴のある建物です。モンゴルゲルは骨格に当たる部分に相当する木材、その上にかけるシートという二つの部分から成ります。ゲルの木材にはハナ(壁)、ウニ(屋根の骨格にあたる棒を差し込む中心)、トーノ(天窓)、扉が入ります。ゲルにかけるシートはウルフ(天窓の上に閉めるフェルト)、デーベル(屋根にかぶせるフェルト)、トーラグ(壁に巻くフェルト)等が入ります。 モンゴルゲルの大きさを壁の数で計ります。平均サイズは4壁のゲルになります。モンゴルゲル内側のスペースを「ホイモル」側(ストーブの北側)、扉周辺、お母さんの場所(ストーブの西側)、お父さんの場所(ストーブの東側)と分けます。ホイモル側にその家族の信仰するう宗教の道具、またその家族の大事なものが置かれています。扉周辺には通常あまり道具は置きません。お母さんの場所には勿論台所の道具が置かれます。お父さんの場所には乗馬の道具が置かれています。 ゲルの真中にストーブがあります。
食事
モンゴル民族は昔から家畜を飼う生活をしてきましたので、食事にも家畜から取れる肉や乳を材料にした料理を主に食べてきました。現在はモンゴル料理の種類が結構多くなっていますが、昔は野生の葱、ニンニク、香辛野菜、岩塩、麦、小麦などと味付けした肉を焼く、煮る、蒸した料理、また家畜の乳で作った乳製品、ヨーグルト、アイラグ(馬乳酒)、チーズ、アーロール、ウルム(バターのようなあぶらの塊)エーゼギー、ツァガーントス、シャルトスなど等があります。 発展の段階によって隣の国々や支配していた国々の料理文化も取り入れ現代のモンゴル料理の種類を形成しました。モンゴル料理文化には中国を経由して中央や東南アジア、ロシアを経由してヨーロッパの料理の文化が入って来ました。 モンゴル料理を肉料理、ツァガーンホール(白い料理)という無を使わない料理とに分けます。肉料理はトラグ肉(動物の体全体の肉)料理、内臓料理、頭と四肢肉の料理に分けられます。肉を使わない料理には全乳製品と肉を入れずに炊いた米などが入ります。 古代には以下の三種類の肉を焼く、煮る、蒸す芸術の料理しかありませんでしたが、以下の通り発展段階の影響でボーズ(肉まんのような)、ホーシュール(焼き餃子のような)、ツォイワン(焼きうどんのような)、バンタン(細かい小麦粉と肉のスープ)、ゴリルタイ・シュル(うどんのような)小麦粉のスープという意味、ゴリヤシ(蒸した肉と野菜のサラダとご飯のセット)、肉を細かく切った肉の料理など等が誕生しまして料理の種類が多くなりました。モンゴルのお祝い料理にホルホグ(石焼)、ボードグ(動物の内臓を取って代わりに焼いた石を入れて皮革内で蒸し焼きにする(料理)、茹いた羊の胸骨、ボーズ、ホーシュール、などのがあります。 飲み物は最初は家畜の乳をそのまま飲んでいましたが、その後からは家畜の乳を色んな方法で加工してタラグ、アイラグ、ツェゲー、ミルクティーなどのいろいろな種類の冷たい飲み物も、熱い飲み物も作る技術を開発して食事に利用するようになりました。また家畜の乳からアルコールが高い酒も蒸留しのんでいました。
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